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2018年6月

お別れ

父が他界しました。

 
6月18日の早朝、電話がかかってきたのですが、出ることができず、あまりにも早朝だったので、もしかしてと思い、母親に電話すると、父が亡くなったとのことでした。
 
19年前にアルツハイマー型認知症を患い、ここ10年ほどは自宅での介護でした。
しゃべることもできず、寝たきりで、誤嚥性肺炎を避けるためにチューブによる栄養補給でした。
 
夜は、いつもは何かあると横に寝ている母が起きて、対応するのですが、今回は何も気づかずに、起きて父を見たところ、既に息を引き取っていたとのことでした。
 
母は父を看取ることができなかったと、しきりに後悔していましたが、最期の顔をみると、眠るように亡くなったようです。
母を心配させないように、静かに息を引き取ったのだと思います。
 
一旦、実家へ帰ると、帰れないので、準備をして和歌山から実家の京都へ車で向かうことにしました。
僕自体もかなり動揺していたので、いつも以上に安全運転を心がけるよう走り始めました。
少し、準備がかかったのと、車にガソリンが無かったので、高速で入れるかどうか迷いましたが、自宅近くのガソリンスタンドでガソリンを入れて、信号待ちをしていたところ、スマホから地震警報が鳴りました。
ゆっくりと車が揺れて、地震が来たことがわかりましたが、周りの自転車を見ていると、気づいていないようです。
ただ、長い揺れであったので、どこかで大きな地震があったのでは無いかと考え、途中のコンビニの駐車場に車を停めて、情報収集したところ、大阪での地震で、震度6弱とのこと。
実家も5強の震度だったので、すぐさま電話。
被害は無かったようです。
ただ、観測史上初の大阪での巨大地震であり、犠牲者もありました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 
今考えれば、父が亡くなったことを聞いて、すぐに出発した場合、震源地近くを通るので、何らかの影響を受けていた可能性は高かったです。
運が良かった、というより父が守ってくれたのではないかと思います。
既に医者も来て死亡診断が終了し、先に来ていた弟が葬儀屋と打ち合わせを始めていました。
とりあえず、僕抜きで決めてもらっても良いことを伝え、一路実家へ。
 
高速が使えるかどうか不明でしたが、高速入り口での情報では速度制限がかかっているだけのようでしたので、そのまま高速へ。
走っていると、阪和高速や近畿道が通行止めとなっている情報が。
岸和田のSAで情報収集し、西名阪から奈良経由で実家へ行くことを決めました。
 
郡山から降りて、国道24号線を北上。
片側一車線かつ高速が使えないためか、渋滞。
木津川に来たところで、途中休憩したコンビニでセットしたgoogleのナビが勧める道を走ることにし、一旦、24号線から離脱。
比較的道は狭かったですが、スムーズに走れて片側2車線の24号線に合流し、無事実家へ到着。
いつもよりもかなり時間がかかってしまいました。
 
居間に横たわる父を見て、やはり泣いてしまいました。
今までの苦労をねぎらい、これまでのお礼を言いました。
 
 
喪主を任されたので、なんやかんやと忙しく、弟や嫁、義妹の支えもあって、通夜と告別式を滞りなく執り行うことができました。
お経をあげていただいたご住職さんも、とても良い方で、色々親身になっていただきました。
また葬儀屋さんも、色々と相談に乗って頂きました。
 
こういうときにしか、中々親戚が集まることはないです。
思い出話を含め、色々お話をさせていただきました。
父母が大変お世話になった方も来られて、僕も久しぶりにお話させて頂きました。
かなり個性の強い方ですが、嫁とは意外と気が合ったようです。
告別式が終わってからは、諸手続やお世話になったお医者様へのお礼などなど。
僕がいる平日は、一日しかなかったので、一部の手続きしかできませんでしたが、今後、母がやるべき事をまとめてファイルにしておきました。
 
これまで実家に一週間いることはなかったですが、本当に久しぶりでした。
ただ、母が介護疲れと喪失感から、かなり憔悴していたのが心配です。
ゆっくりと回復していって欲しいです。
まだ色々やることもあるので、しばらくは実家に通うことになりますが、母の回復の手伝いができればと思います。
 
父がこの病気になったとき、覚悟はしていましたが、思いもよらず突然にその瞬間が訪れました。
正直、辛かったですが、今回、色々な方のお力添えが身にしみました。
僕も恩返しができればと思っています。
 
 
本ブログには似合わない記事でしたが、ご容赦くださるようお願いいたします。

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